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45歳の時に同窓会で気づいた現実!僕がはげを受け入れ、前向きになれた理由
先日、大学の同窓会があった。卒業から二十数年、久しぶりに会う顔ぶれは、良い意味で、そして悪い意味でも、すっかり変わっていた。そして、男たちの間で最も顕著な変化が見られたのが、頭髪の状態だった。見事にフサフサなままのやつ、僕と同じように生え際が後退しているやつ、そして、いっそ清々しいほどに頭頂部が輝いているやつ。まるで、はげの見本市だ。僕は、40歳を過ぎたあたりから、自分の薄毛をはっきりと自覚していた。毎朝、鏡を見てはため息をつき、AGA治療薬の広告をクリックしては、その費用に二の足を踏む。そんな中途半端な日々を送っていた。同窓会は、そんな僕にとって、ある種の審判の場のように感じられた。しかし、会場で旧友たちと話しているうちに、僕の心境に変化が訪れた。かつてイケメンで鳴らした友人が、すっかり落ち着いたおでこを見せながら、子供の自慢話を屈託なく笑い飛ばしている。別の友人は、潔い短髪で、「この方が楽でいいんだよ」とビールを呷っている。彼らは誰も、自分の髪のことを卑下したり、隠そうとしたりしていなかった。彼らが気にしていたのは、髪の毛の数ではなく、今の仕事や家族、健康のことだった。その姿を見て、僕はハッとした。僕が今までこだわっていたのは、一体何だったのだろうか。失われていく髪の毛ばかりを数え、自分自身を卑下し、勝手に不幸になっていたのは、僕自身じゃないか。同窓会が終わり、家に帰って鏡を見た。そこに映っていたのは、紛れもなく、45年生きてきた僕の顔だった。少し広がった額も、薄くなった頭頂部も、僕が懸命に生きてきた証じゃないか。そう思えた瞬間、すっと肩の力が抜けた。翌日、僕は行きつけの理髪店に行き、「思いっきり短くしてください」と頼んだ。治療薬で若さを取り戻す道もあるだろう。でも僕は、年齢を重ねた自分を、このはげごと受け入れて、前向きに生きていく道を選んだ。今の僕は、二十数年ぶりに会った友人たちの前で、一番堂々と笑える気がしている。