日々の診察の中で「最近急に髪が抜けるようになったんです」という訴えをきっかけに血液検査を行い、そこで初めて甲状腺の病気が見つかるというケースは決して珍しいことではありません。私たち内分泌代謝科の医師にとって脱毛は、動悸や手の震え、体重変動などと並ぶ重要な診断の手がかりの一つであり、患者さんが皮膚科や婦人科を回った末にようやく当院に辿り着き、原因が判明して安堵される姿を数多く見てきました。甲状腺ホルモンは全身の細胞の新陳代謝を司る司令塔のような存在であるため、このバランスが崩れると生命維持に直接関わらない毛髪や爪、皮膚といった末端組織への栄養供給やメンテナンスが真っ先にカットされてしまうのが人体の防御反応なのです。患者さんによく説明するのは、甲状腺機能低下症による脱毛は「植物が水不足で枯れていく状態」、亢進症による脱毛は「エンジンの回転数が上がりすぎてオーバーヒートしている状態」というイメージで、どちらも髪が育つための土壌と環境が破壊されている点では共通しています。治療において強調したいのは、甲状腺の数値を正常化させることが最良かつ唯一の根本的な育毛治療であるという点であり、いくら高価な育毛剤を外から塗っても、体の中のホルモンバランスが乱れたままでは効果は期待できません。治療を開始してホルモン値が安定してくると、多くの患者さんで抜け毛が止まり、数ヶ月後には新しい髪が生えてくるのを観察できますが、毛周期の関係上、効果を実感できるまでにはどうしても時間がかかるため、焦らずに薬の服用を継続することが何よりも大切です。また、メルカゾールなどの抗甲状腺薬の副作用で稀に脱毛が起きることもありますが、これは薬を変更することで対応可能ですし、病気そのものの影響による脱毛と混同しやすいので、不安があれば自己判断で薬を止めずに必ず主治医に相談してほしいと思います。髪の悩みは命に関わらないと軽視されがちですが、患者さんの心にとっては重大な問題であることを私たちは理解しており、内科的な治療を通じて全身の健康とともに豊かな髪を取り戻すお手伝いをすることが私たちの使命だと考えています。